あの日みんなが見たあまちゃんを、僕達はまだ知らない。

「あまちゃん童貞」の30代男性2人が、「あまちゃん」を今更見て感想を書くブログ。

あまちゃん 第2話 感想

「えっ」

大吉からのメールによって24年ぶりに三陸の地に帰ってきた春子。その間父親が死んだ事も知らされなかったこと。

やはりそれは「じぇ」でも「で?」でもなく、「えっ」なわけで。

大吉、安部、春子の3人が織りなす軽快な掛け合いでの中にも、そこはかとない緊張感があり、もう自分には一生味わうことはできない‘ここにいてもどうしようもない所から出て行くこと’について考えちゃいます。

橋幸夫の歌詞の中にでてくるあの娘は何を思い、三陸鉄道で東京へ行ったのかねぇ
まめぶの将来性よりは気になるね。

あまちゃん第一話 感想

「線路が開通すること」が地方にとってというか、

日本にとって、即、成長とか繁栄とかを意味した時代があったらしい。

遠いどこかと線路で繋がることは、自分の憧れの世界が、

単なるパラレルワールドではなくて、どこかギリギリの接点で

今の自分がいるところと地続きなのかもしれない…くらいのリアリティはもたらすのかもしれない。

鉄道というか、三陸鉄道が持っている意味性が端的に紹介された回だなあと思いました。

このドラマが放送されたときは13年だから、11年に起きたことを視聴者は知ってるわけで、これはドキドキチクチクするよ、そりゃ。

 

「海見てきな」と15分の放送の中で、唯一晴れやかな顔をする晴子。

ほとんどセリフがない、不安そうな演技が続く中、

鄙びた路地を抜け海を見つけおでこ全開にして走るアキちゃん。

彼女たちにとって誇りとか居場所とか拠り所とは何かを匂わせる、

解放感あるくだりでした。

 

あと、オープニングテーマ。間抜けなイントロ、徐々に高揚していく展開、

身体がどうしたって動くようなリズム! 最高な曲だね! 通して初めて聴いた。

あまちゃんを今更見るにあたって。

俺たちは、みんなが見てたり読んでたりするものを

スルーしちゃってきたものが、多い。

メジャーなものへのひねくれ根性とかそんなことではなく、

ただ、なんとなくタイミングを失ったうちに、それ自体が終わってるとか、

ものすごい量の単行本(や続編)がでてしまったとか、その程度。

ワンピース、ジョジョ北斗の拳北の国から、アメドラ、

ファーストガンガム以降のガンダム。等。

とある世代にとっては、共通言語となって、挨拶代りの話題になりうるコンテンツ

は、何かしらの「面白さ」が絶対に入ってるわけだから、

いつも挑戦したいとは思っている。

あまちゃん」は、NHKの連ドラで放送されてた。

俺にとってその枠は、朝方家事の合間を縫って見る主婦とか、

出社前に朝飯食いながら見る会社員とかを想定した、「大いなるベタ」が

展開される時間帯…くらいの認識だった。

連続ドラマはとにかく「習慣」が大事で、毎日のルーティンを恥ずかしながら持っていない俺は、習慣を根付かせるのが苦手で、「毎週(毎日)これを欠かさず見る」

ということが不得意。興味の持続が難しい。

よって、今までひとつも見たことがない。

 

今回「あまちゃん」を見るに至ったきっかけが、なんとなく、このドラマが、

「とある世代」とか「とある趣味」を対象にしたものではなく、

これ「みんな」に向けて、つくられてんじゃないの? と、

なんとはなしに気付いていたから。高校の時、日陰者一味と教室の後ろでエヴァ

ワールドプロレスリングの話をしたり、移植されたばかりのスト2を、

創価学会のでっかい仏壇があるU木君の部屋でカチャカチャやったのとまた別の感覚。

俺は、みんなの輪に入りたい、というのがまずある。

 

それと何よりあの流行語「じぇじぇじぇ」を超フレッシュに使いたいというのがある。

これは、残されたものたちに文字通り残された、特権だ。

はやくビックリするタイミング来ないか。おれはじぇじぇじぇで仲間入りだ。